【映像・広告】千代田区芸術祭にて映像編集クラス制作作品が上映!
2014年9月26日 14:55
映像作品を作ったからには誰かに見せるべきで、それが評価されたとなれば、こんなに嬉しいことはないと思います。 千代田区芸術祭で行っている10分以内の映像コンテストに、映像編集クラスで制作した作品「EIJI」を応募したところ、見事選考を通過し芸術祭期間中上映されることになりました。 アカデミアの映像編集クラスは、編集を軸に映像制作を学ぶクラスであり、技術オンリーのクラスではなく修了制作作品ではシナリオから撮影、編集まで生徒が行います。とはいえシナリオや撮影を本格的に学ぶクラスというわけではないので、1からの作品作りには毎年苦戦してもいます。 そんな状況の中で作った作品が外部コンテストで一定の評価を受けたというのは、制作に関わった生徒はもちろん、アカデミアスタッフにとっても嬉しいニュースでした。 先日、その千代田区芸術祭に上映作品を見に行ってきました。 アカデミアの作品が上映された時の観客の反応も気になりつつ、他の上映作品のクオリティも大変気になっていたのですが、さすが芸術祭だけあって、どの作品も自己主張の強い作品ばかりでした。アカデミアでは「まず観客に内容が伝わること」を前提に作品制作を行っているので、無秩序とも思える構成の作品、延々と続く実験映像のような作品、一瞬の笑いを追求したような瞬発力のある作品は新鮮でした。どの作品も個性があり野心的で、アカデミア出品作品も編集的に遊びのある作品でしたが、これらの作品に比べるとまだまだおとなしく感じられました。 遊びすぎるのがよい作品という訳ではありませんが、「個性の強さ」は見習うべきかもしれません。また今年ももうすぐ修了作品制作の時期に入りますが、さらにレベルの高い作品に仕上がるようサポートしていきたいです。
【映像・広告】「信也のまんま 3」 第1夜/中島信也×上田義彦さん 2014年8月6日
2014年8月 7日 13:44
今年の「信也のまんま」第一回目のゲストは写真家の上田義彦さん。上田さんと中島信也が表現することへの奥深さについてを語り合いました。 上田さんは関西の出身。高校を卒業して、自分の希望していなかった大学に進学したものの、再トライしようと思い、浪人生活を選択。二浪の末、大学ではなく写真の専門学校に通うことになりました。 クラスで写真撮影の経験がまったくないものは二人だけでした。写真専門学校の先生はそれを見て、「キミたちはいいんやないの?!」とおっしゃったそうです。 上田さんはこの写真専門学校での講師のことがとても好きで、将来はこんな先生になりたいと思って写真専門学校に通ったそうです。(そんな上田さんが、今年から多摩美術大学の教授を始めることになりました。) 卒業後、カメラマンの福田匡伸さんのところにアシスタントとして入り、その後、有田泰而さんのところで修業をされ、1982年に独立をされます。 そのころ、上田さんが撮りためた作品集を持って、当時丸の内の東京ビルにある広告会社に作品集を見てもらいに行ったそうです。すると、見た方が開口一番、「キミは広告に向いてない・・・。」と言われたそうです。「広告は明るくてきれいでなくちゃいけないのに、君の写真は暗い」と。すべてモノクロの作品だったそうです。ショックを受けた上田さんは、東京ビルの向かいの高架下にあった蕎麦屋に入って一休みしたそうです。 しかし、上田さんは全然めげません。数日後、上田さんはその作品集をファッション雑誌「流行通信」の編集部に持っていきます。1980年代ものすごく勢いがあり、最先端なファッション写真を手掛けているこの雑誌の仕事を上田さんは始めることになりました。 広告との出会いは、流行通信の写真を観たサンアドの葛西薫さんから声がかかり、仕事をするところから始まったそうです。上田さんと葛西さんのサントリー烏龍茶のキャンペーンは、広告史に残る仕事ではないでしょうか? その後、上田さんが手がける広告の仕事が増えていきます。 最初はグラフィックを中心にされていましたが、1980年代にグラフィック写真家にTVCMを撮ってもらうというスタイルが増えてきて、上田さんもムービーを撮るようになりました。 1980年代はある種、自由度が高かった時代ではないかと中島信也と上田さんが語ります。 感覚的なものを大事にすることができ、現場で「感覚を開放して」仕事ができる環境がありました。現在は、規制が多く、多くの約束事の中で仕事をすることになり「感覚を開放」することがなかなかできない状況でもあります。 でもあの頃の感覚を今も大切にしたいと二人は語っていました。そのためには「おおらかさ」が必要なのかも知れません。中島信也も上田さんも、そうした広告主やクリエイターたちとの出会いがあり、その人たちの「懐の深さ」の中で感覚が解放されていったのではないでしょうか?ものを創るときのある種の余裕が成長の糧になるということですね。 中島信也との出会いとなった仕事は、「パルコグランバザール」のCMでした。藤谷美和子さんが着物を着て佇む美しいものなどです。 その後、大貫卓也さん(第2夜で対談)との「生け花小原流」などの仕事を経て、多田琢さん(当時:電通、現TUGBOAT/第3夜で対談)とのサントリーの「ダカラ」の仕事が長く続きました。 「ダカラ」といえば小便小僧が出て喋るというCM。白い小便小僧に白バックということで、上田さんに頼んでも暗くならないだろうと思っていたら独特の暗めのトーンになって、いったんはもっと明るくしてみたのですが、それは明るすぎる!ということで、結局は元のトーンに戻ったそうです。 今観るとそんな「暗い」感じはまったくなく、むしろ時代が上田さんの撮影の表現レベルに追いついて来たのでしょう。 その後、中島信也と上田さんは現在まで10年にわたる「サントリー伊右衛門茶」のTVCMのキャンペーンに携わられます。実は伊右衛門茶のTVCMのライティングとダカラのTVCMのライティングの仕方はとても似ているそうです。スタジオで、曇り空のリアルな自然光をいかに創り出すかがポイントだったようです。 そして、ドコモの「walk with you」シリーズのお話になりました。 CDである多田琢さんが、演出を全面的にに中島信也ディレクターに任せており、中島信也は撮影に関する部分は上田さんに任せている。先ほども出た「懐の深い」仕事がこのシリーズでは実現できているのでしょう。 現場では上田さんは、「感覚を開放」して気持ちのいいフレームを切り取っていかれるそうです。フレームの決め手は、自分の中の遺伝子レベルにおいて、また撮影現場の自然環境の中で「なつかしい」という感覚に出会えることだそうです。この感覚は人によって、違ってくるのかも知れませんが、撮影フレームを決めて切り取るということの本質的な意味がこのお話の中から見えてくるようでした。 そして、上田さんはそのフレームが見つかるまであきらめない。きっと見つかると信じて仕事をやっているとおしゃっていました。それが見つかることを上田さんは「奇跡」という言葉で表現されていました。「奇跡」を見つけるには「余裕」が必要だ、とも話され、先ほどの「おおらかさ」とか「懐の深さ」と同じだと思いました。 絵コンテを見て、こうしたいというイメージが自分の中に生まれ、それを超えたものを探したい!という気持ちを、常に持ち続けて仕事をされているという姿勢に、会場内が静かな熱気に包まれました。 また上田さんは広告の仕事と並行して、自らの写真家としての活動をされています。いろんな場所にカメラを持っていき、たくさんの写真を発表されています。何も用事がないときはスタジオの暗室にこもるのが何よりも楽しいとおっしゃっていました。 数年前から竹芝で写真のギャラリー「gallery916」を始められました。 自らの写真家としての仕事と、広告の仕事を両方やることがとてもバランスが取れていていいのです、と語っておられました。中島信也も演出家をやりながら取締役として会社の経営会議などに出席し、また、大学などで講義をし、さらにはバンド活動などもやっています。やっていると休みがなく大変だけど、これをやることが自分らしいのでは?とおっしゃり、この感覚も上田さんの感覚と同じようなことがあるんだろうなと想像しました。 対談終了後のアンケートの中で、今回のトークショウを聴き「とても静かな気持ちになった」というコメントが印象に残りました。
【映像・広告】「my japan creative summer camp オリエンテーション」(@東北新社 映像テクノアカデミア)
2014年6月30日 16:10
「my japan」という地域活性化のための
「日本」のいいところを紹介する30秒の動画を
作って応募するという催しが今年で5年目を迎えた。
今年の動画のテーマは
「ガイドブックにはない、"今"の日本の魅力。」
そして5年目にして新たな試みが始動!
夏休みを利用した「creative summer camp」というもの。
事務局が選定した3か所(石巻・只見・長野)の地域に
参加者が実際にロケハンに行き現地を見てお話を聴き、
それを基に、企画を作って、
その後、2泊3日の動画制作のキャンプに行く。
キャンプでは撮影し、仮編集までを現地で行う!
ということは編集は徹夜作業になるかも?
参加できるのは29歳以下の人たち。
動画制作やデザインが出来ない人でも大丈夫。
この日は、そのサマーキャンプのオリエンテーション。
このイベントを手伝っている中島信也ディレクターと
河尻亨一さんがオリエンテーションのファシリテーターを務める。
東北新社 映像テクノアカデミアの4階C教室は
29歳以下の男女で溢れた。
事務局関係者を入れると60人以上が集まる。
この日は行き先別に応募者が座り、
その後3名づつのチームの発表が行われる。
ちょっと合コンみたいな感じもあり、
みんなのドキドキ感が伝わってきた。
大学のゼミなどが新たに始まる。
中島ディレクターと河尻さんからは、
参加者に対して、人と違うことをやってみよう!
といろんな表現が出て来ていいんだ!
という言葉を受けて、みんなの
ワクワクドキドキが拡がっていくのが
目に見えるようだった。
同じようにしなさい。人と違うことをしちゃダメ!
というものとは真反対のオリエンテーションが行われる。
こうした、教育がこれから拡がっていくのだろう!
創造性を高めていくための教育のヒントは
こうしたところにあるのかも知れない!
先日のETVの「スーパープレゼンテーション」(@TED)でも
イギリスの教育学者であり作家である、ケン・ロビンソンが
同じようなことを言っていた。
この日の彼の講演の題名は「教育革命を起こそう!」というもの。
創造性がこれからの世界を作っていく。
そのために芸術的な作業を教育に取り入れるべきだ!
という主張だった。
終了後、大きな拍手とスタンディングオベーションが。
今回のサマーキャンプも
まさに、その創造性を最大限に発揮するイベントだろう!
ロケハンに行って彼らが何を発見し、
何を表現しようと思うのか?楽しみ。
ロケハン後の8月上旬にワークショップが行われる。
そこでは中島ディレクター、河尻さんの指導のもとに、
彼らの発見してきたものが、実際の動画の企画に
進化していくことだろう!
サマーキャンプ1期生たちよ!
がんばれええええ!(山下)
【映像・広告】ミュージックビデオ
2014年6月17日 20:28
【スタッフこぼれ話】「ジジイなってもかっこいい」 ----ロバート・デ・ニーロ-------
2014年6月 5日 14:02
最近、「リベンジ・マッチ」という映画を観に劇場へ足を運んだ。ロバート・デ・ニーロとシルベスター・スタローンが、最後の勝負のために30年ぶりかにリングに上がる老齢のボクサーを演じている。
この映画は、デ・ニーロは「レイジング・ブル」スタローンは「ロッキー」で強烈にボクサーの役を演じたのを彷彿させる狙いがあることはいうまでもないだろう。
二人が必死に体をしぼって奮闘している様はけなげでさえあるが、それなりに見ごたえがあった。
それよりもタイトルロールの後に、マイク・タイソンとイベンダー・ホリフィールドのインタビューシーンがあり、貴方たちも世界ヘビー級の「リベンジ・マッチ」をやるか?の質問に、一人が即座に"NO"というシーンは、アメリカ映画独特の洒落が聞いていて面白かった。ちなみに、この二人には「耳かみ事件」があり、これによりタイソンが1年間ライセンスを取り上げられたことがあった。
それはさておき、デ・ニーロは1973年「ミーン・ストリート」の監督マーティン・スコセッシとのタッグを組んだ映画で無軌道な若者を演じ、一躍脚光を浴びた。
それからは1974年「ゴッドファーザーPARTⅡ」でヴィトー・コルレオーネの青年時代を演じ、1976年「タクシードライバー」ではベトナム戦争から帰還した若者を演じ、続いて1978年「デイア・ハンター」でもベトナム戦争で深く傷を負った若き3人の帰還兵の一人を演じている。
そして、1980年の「レイジング・ブル」につながっていく。デ・ニーロが壮絶な男の生き様を四角いジャングルに叩きつけた。引退後のシーンのため25キロ体重を増やしてまで破滅型の主人公を演じきり、アカデミー主演男優賞を受賞することになる。
彼には1987年「アンタッチャブル」のアル・カポネ役で前髪を抜いてまで迫力を出すことに専念した話もある。
このように徹底した役作りは「デ・ニーロ・アプローチ」と称され、若手俳優たちのお手本になっている。
それにしても、あの片方の頬をわずかに歪めてニヒルに笑うカットは、デ・ニーロ作品では必ずどこかに出てくる。それに秘めた存在感は抜群であり、ここに挙げた作品の中の若き日のデ・ニーロは秀逸である。
もちろん、現在70歳を超えているデ・ニーロも渋みを増し、食事や運動に気を使っているだろうから「ジジイになってもかっこいい」と言われている。
人は皆、こうありたい。