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【映像・広告】「信也のまんま 3」 第1夜/中島信也×上田義彦さん 2014年8月6日 

2014年8月 7日 13:44

IMG_7733 OK_blog.jpg今年の「信也のまんま」第一回目のゲストは写真家の上田義彦さん。上田さんと中島信也が表現することへの奥深さについてを語り合いました。
上田さんは関西の出身。高校を卒業して、自分の希望していなかった大学に進学したものの、再トライしようと思い、浪人生活を選択。二浪の末、大学ではなく写真の専門学校に通うことになりました。
クラスで写真撮影の経験がまったくないものは二人だけでした。写真専門学校の先生はそれを見て、「キミたちはいいんやないの?!」とおっしゃったそうです。
上田さんはこの写真専門学校での講師のことがとても好きで、将来はこんな先生になりたいと思って写真専門学校に通ったそうです。(そんな上田さんが、今年から多摩美術大学の教授を始めることになりました。)

卒業後、カメラマンの福田匡伸さんのところにアシスタントとして入り、その後、有田泰而さんのところで修業をされ、1982年に独立をされます。
そのころ、上田さんが撮りためた作品集を持って、当時丸の内の東京ビルにある広告会社に作品集を見てもらいに行ったそうです。すると、見た方が開口一番、「キミは広告に向いてない・・・。」と言われたそうです。「広告は明るくてきれいでなくちゃいけないのに、君の写真は暗い」と。すべてモノクロの作品だったそうです。ショックを受けた上田さんは、東京ビルの向かいの高架下にあった蕎麦屋に入って一休みしたそうです。

しかし、上田さんは全然めげません。数日後、上田さんはその作品集をファッション雑誌「流行通信」の編集部に持っていきます。1980年代ものすごく勢いがあり、最先端なファッション写真を手掛けているこの雑誌の仕事を上田さんは始めることになりました。

広告との出会いは、流行通信の写真を観たサンアドの葛西薫さんから声がかかり、仕事をするところから始まったそうです。上田さんと葛西さんのサントリー烏龍茶のキャンペーンは、広告史に残る仕事ではないでしょうか?
その後、上田さんが手がける広告の仕事が増えていきます。
最初はグラフィックを中心にされていましたが、1980年代にグラフィック写真家にTVCMを撮ってもらうというスタイルが増えてきて、上田さんもムービーを撮るようになりました。
IMG_7716 OK_blog.JPG 1980年代はある種、自由度が高かった時代ではないかと中島信也と上田さんが語ります。
感覚的なものを大事にすることができ、現場で「感覚を開放して」仕事ができる環境がありました。現在は、規制が多く、多くの約束事の中で仕事をすることになり「感覚を開放」することがなかなかできない状況でもあります。
でもあの頃の感覚を今も大切にしたいと二人は語っていました。そのためには「おおらかさ」が必要なのかも知れません。中島信也も上田さんも、そうした広告主やクリエイターたちとの出会いがあり、その人たちの「懐の深さ」の中で感覚が解放されていったのではないでしょうか?ものを創るときのある種の余裕が成長の糧になるということですね。

中島信也との出会いとなった仕事は、「パルコグランバザール」のCMでした。藤谷美和子さんが着物を着て佇む美しいものなどです。
その後、大貫卓也さん(第2夜で対談)との「生け花小原流」などの仕事を経て、多田琢さん(当時:電通、現TUGBOAT/第3夜で対談)とのサントリーの「ダカラ」の仕事が長く続きました。
「ダカラ」といえば小便小僧が出て喋るというCM。白い小便小僧に白バックということで、上田さんに頼んでも暗くならないだろうと思っていたら独特の暗めのトーンになって、いったんはもっと明るくしてみたのですが、それは明るすぎる!ということで、結局は元のトーンに戻ったそうです。
今観るとそんな「暗い」感じはまったくなく、むしろ時代が上田さんの撮影の表現レベルに追いついて来たのでしょう。

その後、中島信也と上田さんは現在まで10年にわたる「サントリー伊右衛門茶」のTVCMのキャンペーンに携わられます。実は伊右衛門茶のTVCMのライティングとダカラのTVCMのライティングの仕方はとても似ているそうです。スタジオで、曇り空のリアルな自然光をいかに創り出すかがポイントだったようです。

そして、ドコモの「walk with you」シリーズのお話になりました。
CDである多田琢さんが、演出を全面的にに中島信也ディレクターに任せており、中島信也は撮影に関する部分は上田さんに任せている。先ほども出た「懐の深い」仕事がこのシリーズでは実現できているのでしょう。

現場では上田さんは、「感覚を開放」して気持ちのいいフレームを切り取っていかれるそうです。フレームの決め手は、自分の中の遺伝子レベルにおいて、また撮影現場の自然環境の中で「なつかしい」という感覚に出会えることだそうです。この感覚は人によって、違ってくるのかも知れませんが、撮影フレームを決めて切り取るということの本質的な意味がこのお話の中から見えてくるようでした。
そして、上田さんはそのフレームが見つかるまであきらめない。きっと見つかると信じて仕事をやっているとおしゃっていました。それが見つかることを上田さんは「奇跡」という言葉で表現されていました。「奇跡」を見つけるには「余裕」が必要だ、とも話され、先ほどの「おおらかさ」とか「懐の深さ」と同じだと思いました。

絵コンテを見て、こうしたいというイメージが自分の中に生まれ、それを超えたものを探したい!という気持ちを、常に持ち続けて仕事をされているという姿勢に、会場内が静かな熱気に包まれました。

IMG_7728 OK_blog.jpg また上田さんは広告の仕事と並行して、自らの写真家としての活動をされています。いろんな場所にカメラを持っていき、たくさんの写真を発表されています。何も用事がないときはスタジオの暗室にこもるのが何よりも楽しいとおっしゃっていました。
数年前から竹芝で写真のギャラリーgallery916を始められました。
自らの写真家としての仕事と、広告の仕事を両方やることがとてもバランスが取れていていいのです、と語っておられました。中島信也も演出家をやりながら取締役として会社の経営会議などに出席し、また、大学などで講義をし、さらにはバンド活動などもやっています。やっていると休みがなく大変だけど、これをやることが自分らしいのでは?とおっしゃり、この感覚も上田さんの感覚と同じようなことがあるんだろうなと想像しました。

対談終了後のアンケートの中で、今回のトークショウを聴き「とても静かな気持ちになった」というコメントが印象に残りました。

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