映像テクノアカデミア

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【映像・広告】教えることは教えられることだ

2015年7月14日 10:58

いきなり大上段に構えて恐縮ですが,、思いつくまま書き連ねていくことにする。

翻って、小学校から大学まで、黒板(ホワイトボード)に先生が書いたものを真面目にノートに記した記憶がない不真面目な生徒ではあったが、そもそも、授業がおかしいと思ったことが多々あった。

高校では、数学の授業が90分間をただ先生が解答を黒板に書いて、なんのコミュニケーションもなしで終わったり、大学では、2問を90分で解けといって答案用紙を配って教室を出ていったりした。正解を出せなくても横道に逸れた数式でも良いから消さないでおくように、それなり点数をあげる、と言い残して。

さて、"教えることは教えられることだ"に話をもどそう。
"映像を創る"と題して話をしていく。
映像は答えが一つしかない数学と違って、無我夢中にさせる要素が散りばめられている。

「ありきたりの映像を超えるためと称して、フイルムに焼き付けられる事象の工夫に人を狂わせる情念が入り込む。この麻薬に似た情念に酔いしれる快感が、モノ作りの根幹を成しているのかも知れない」この文は小説、講義等、ことあるごとに話をしている。

また、映像作品を創るためにプロデューサ―が選んだスタッフで仕事をやることになり、その中でどうしても生理的に好きになれないスタッフがいたとしても、長く撮影をやり同じ釜の飯を食っていくうちに、打ち解けていき、初号試写では肩を叩き合って、握手して別れられる。要は映像が、嫌いな感情を溶かしてくれる。

このように、映像を創る楽しさやすばらしさを伝えていく授業を行うには、どうようにしたらよいのだろうか。

"映像を創る"ことを教えるには、まずは自ら映像を創るしんどさや楽しさを体験し、感じ取らなければならないだろう。それは悩み、苦しんだあげく、作品の出来ばえに高い評価を得ることだろう。
または逆に、徹底的に痛めつけられた経験を活かすことだろう。それは、誰かに言われてレールの上を走るのではなく、自分自身で自分を追いつめて成し遂げなければならないものだろう。
そこで、初めて相手の作っているしんどさが理解でき、相手が納得するアドバイスができる。そして、相手の胸に届く言葉が投げかけられる。
ときには、相手から思いもしなかった言葉や想像もしなかった映像創りが返ってくることがある。それは、経験の浅いがゆえに発見した斬新さに溢れ、驚かされる。

それを評価できる度量も苦しみぬいて良いモノを追い求めてきたからだろう、と自分に言い聞かせる。

つまりは、教えることは教えられることだ、と。

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