【映像・広告】「5年後、広告とメディアはどう変わるのか?」(@アカデミーヒルズ)
2014年12月10日 10:45
六本木ヒルズの49階にアカデミーヒルズという場所がある。セミナーなどが行われるイベント会場とそれに併設された図書館と自由にPCなどを使って勉強や仕事などが出来るスペースがある。
この日は、同じフロアにある、ライブラリーの方も多くの人でにぎわっていた。そこで「六本木スクール」というセミナーがほぼ毎日、複数講座行われているということをある方のFacebookで知った。そして、今回、新たなセミナーのシリーズが始まった。
SPEEDA×アカデミーヒルズ「注目業界の5年後を読む」というシリーズ。
SPEEDAとは企業産業分野のあらゆる情報を集めた情報プラットフォームの会社らしい。
そして、このシリーズでモデレーターを務めるのが元東洋経済の編集者で、東洋経済オンライン元編集長でそのコンテンツの改革の旗手だった佐々木紀彦さん。佐々木さんは現在はニュースをまとめたWEBプラットフォームサービス「News Picks」の編集長をされている。実は、佐々木さんの出演された「ニッポンのジレンマ」(※ちなみに、その時の特集は「情報って何だ?WEB2・0は今」というもの)を先週見たばかりで、佐々木さんの著書を図書館に予約したばかりだった。
今回のゲストは、以前、電通ホールのイベントでも一緒に登壇されていた博報堂ケトルの嶋浩一郎さんと電通CDCの岸勇希さん。この二人が5年後の未来を語り、そして佐々木さんが司会するなんて面白そう!と思って早速応募した。募集後、数日でこのイベントは定員に達した。この日、100数十人は入るだろうアカデミーヒルズのカンファレンスホールがいっぱいになった。参加者は、学生から社会人まで幅広い。質疑応答の時間があったのだが、その時に質問された方の話を聴くと、メディア関係者、ITでのメディア関係、広告関係者、企業の広告担当、などなど多彩な人が適格で鋭い質問をされており、とってもレベルの高い観衆の中でのトークショウだった。
ちなみに、以前、電通ホールで行われた、イベントは、
「広告界を目指す若者たちへ!いま「広告」は何を目指すか。」Dentsu Design Talk vol.119 (@電通ホール)
2014年7月4日(金)15時半~17時半(@電通ホール)
スピーカー:嶋浩一郎、高崎卓馬、岸勇希
というもの。
その時の嶋さん、岸さんトークと同じく、岸さんのマックブックに内蔵されているランダムキーワードが出る方式でそのキーワードに対してお二人が語ると言うやり方で行われた。お二人が日ごろ考えておられるテーマに沿って、キーワードが設定されている。この日、取り上げられたキーワードは
「フィー?」
「給与(広告筋力)」
「1次取材」
「寛容性」
というものだった。
今回、一番気になったのが「1次取材」というもの。
このテーマで二人が話したのは、今回が初めてだったみたい。
まず雑誌「ケトル」なども作っているメディアの発信者でもある嶋さんから、現在の広告収入で記事を書き発行するというビジネスモデルが崩壊しつつある、ということを聴く。特にネットニュースは各種の新聞や通信社のサービスをまとめて発信しているに過ぎない。まとめサービスをやっている、あるプラットフォームでは、そこ独自のアルゴリズムを使って自動編集配信がなされているという。しかし、彼らは1次情報の送り手が情報を発信しているものに乗っかっているだけであって「1次取材」をして記事を発信し続ける人たちはこれからどうなっていくのか?ということをとても心配されていた。
その余白と余裕と体力がメディア業界になくなってしまうとどうなるのか?そして、その発信者たちが多様でなければならないとも嶋さんは言う。多様な側面からの意見が存在しないと健全なメディア状況ではないのでは?と嶋さんは警告する。
その複数の「1次取材」者たちを抱えることが出来るのか?インターネット社会がそれを変えてしまったのではという危機感を持っておられる。
それを聴いた岸さんは、それについてその場で考え続けておられたようである。
そして、これまで業界では常識となっていたジャーナリズムの独立性みたいなものがどんどんなくなって来ているのでは?ということをおっしゃった。ジャーナリズム憲章に「報道の独立性」を謳っているところがあり、以前は取材報道と広告は完全に分かれていた。広告会社が仕事で話すメディア担当者はあくまで新聞広告局でありTV局広告営業の人だった。それがネット社会になり崩壊しつつあるのでは?ということ。
言い換えると、広告とオリジナル記事の境目があいまいになってしまっているということでもある。
それって、受け取り側のメディアリテラシー教育も含めての問題になるのでは?とおっしゃっていた。どういった情報をどのように受け取るか?ということは、実は、私たちの国の民度にもかかわることなんじゃないかな?と思った。そのレベルを、どうやって上げていくのか?いまも、まだネット社会は未成熟な場所なのかも知れない。そして玉石混交の「情報」がある状態。その段階から次にもっと成熟した場所になるためには、ということで岸さんは仮説を唱えた。
極論かも知れないが、ネット社会の「1次取材」などを貴重なものとするルールみたいなものを制定することなどを、考えた方がいいのでは?というような話だった。
多様な「1次取材」者がいて、彼らの生活が守られつつ、その情報が大切にされ、裏取りなどがされた、きちんとした情報が複数の側面から発信し続けられるメディア環境の5年後であって欲しいというような内容でこのセミナーは終わりを迎えた。
岸さんが「セレンディピティ」という言葉を何度か使われた。
ウィキペディアから引用させていただく。
「セレンディピティ」とは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことである。
こうした状況と逆のベクトルにインターネットの情報環境は進みがち。
ネット社会では、極論を言えば、好きなことやものだけに囲まれてその世界の中だけで一生が終わる。
地球46億年の歴史の中での進化は多様性と刺激から生まれている。
その大法則を無視したネットの世界は、実は、とても短期的なものなのでは?
とこの二人は感じている。
ネットという道具は道具として、
本質的に大切なコンテンツや情報というものを
どのように扱っていくのかということが
あらゆるメディアを扱う役割を持っている広告の仕事の未来として問われるだろう。
最後に岸さんが今、一番、注目しているのは「教育」であるということを伺った。熊本の「鶴屋百貨店」の社内教育制度などの例から始まって、現在、新たな展開が始まっているらしい。
個人的にこの話を聴いて思ったのは、日本人がどのように多様性を受け入れる社会になるのがいいのか?そして、教養教育を含め、改めてきちんと「教育」ということについて考えなければいけない時代になっているんだな。と実感した。いまさら文系?理系?などと言っていること自体がナンセンスな時代になった。